無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
岩波キリスト教辞典 単行本 – 2002/6/10
2000年の信と知の営為が生んだ豊饒な世界
- 本の長さ1420ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2002/6/10
- ISBN-10400080202X
- ISBN-13978-4000802024
この商品を見た後に買っているのは?
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
復活・十字の切り方・バロックからシャボン玉・レゲエ・デビルマンまで、キリスト教のすべてがわかる。教会・神学校関係者や宗教の研究者、信徒、ビジネスマンなどを対象とした、対話と和解の世紀をめざす新時代の辞典。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2002/6/10)
- 発売日 : 2002/6/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 1420ページ
- ISBN-10 : 400080202X
- ISBN-13 : 978-4000802024
- Amazon 売れ筋ランキング: - 271,890位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 368位キリスト教入門
- - 546位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
22グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
イメージ付きのレビュー
3 星
キリスト教に対する内容充実!
キリスト教全般について、カトリック プロテスタントの区別なくエキュメニカル運動の基づいてハンディで一般人にも信仰、異文化体験、芸術の楽しみへの案内とかテーマは幅広く内容は充実している。ただ神学者としては物足りない。
フィードバックをお寄せいただきありがとうございます
申し訳ありませんが、エラーが発生しました
申し訳ありませんが、レビューを読み込めませんでした
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年5月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
聖書とキリスト教の歴史が無ければならない。<原理講論>より!
2020年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キリスト教全般について、カトリック プロテスタントの区別なくエキュメニカル運動の基づいて
ハンディで一般人にも信仰、異文化体験、芸術の楽しみへの案内とかテーマは幅広く内容は充実している。ただ神学者としては物足りない。
ハンディで一般人にも信仰、異文化体験、芸術の楽しみへの案内とかテーマは幅広く内容は充実している。ただ神学者としては物足りない。
キリスト教全般について、カトリック プロテスタントの区別なくエキュメニカル運動の基づいて
ハンディで一般人にも信仰、異文化体験、芸術の楽しみへの案内とかテーマは幅広く内容は充実している。ただ神学者としては物足りない。
ハンディで一般人にも信仰、異文化体験、芸術の楽しみへの案内とかテーマは幅広く内容は充実している。ただ神学者としては物足りない。
このレビューの画像
2018年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コンディションの説明のように、「除籍」と「管理印」以外は、概ね良好です。すごく買得です。
2018年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小型ですが、キリスト教の事が隅々まで網羅的に解説してある良い辞典です。
2023年3月12日に日本でレビュー済み
キリスト教に興味を持って勉強を始めると、すぐにわからないことが出てきたり見覚えのない言葉や名前に出くわすことと思う。そんな時に頼りになる一冊の辞典がある。それが本書『岩波キリスト教辞典』である。評者はカトリック神学を勉強していたことがあり、本来は『新カトリック大事典』を手許に置いておきたいところであるが、学生の頃に手に入れた本書がことのほか重宝している。本当に何かを調べようと思う時のためには、英語で定評のある辞典を幾つか揃えているのだが、その深掘りする手前の段階で本書は非常に頼りになることを実感する。
まず、キリスト教神学はヨーロッパで発展したこともあり、その言葉のほとんどはアルファベットで記されている。中世の人物の名前であったり、単純に神学で用いられる言葉であったり、気になった語をすぐに調べることのできる本書の巻末に付された欧文索引が非常に役に立つ。これは大きな辞典を開かずして訳語を確かめる際にも大いに役立つことである。評者も卒論執筆の際の訳語選びに参照し、見当を付けたうえで最終的には個々の研究の中でいかに翻訳されてきたのかを検討していった。その前段階としてその分野で何が論じられ、どのような広がりがあるのかを本書を通して確かめることができるのである。
内容についてであるが、現在刊行されているキリスト教辞典を見渡した際、本書のようなバランスと記述の深さを備えた辞典は見当たらない。先にも指摘したように欧文検索では幅広い事象を扱おうという方針が功を奏してコンパクトながらも網羅的にものを調べられる辞典になっている。海外のものの翻訳は、原書では簡潔な記述でも翻訳された途端に叙述が硬くなり、なおかつ痒いところに手が届かないことが多い。ところが本書はその部分を絶妙にクリアしているのである。深掘りする必要のある読者には金額も場所もとるが定評のある海外の辞典あるいは『新カトリック大事典』を手に入れることが必要になろう。本書の中には簡潔にして要を得た記述を様々な項目に見出すことができる。もし機会があれば佐藤研氏の「Q文書」、関根清三氏の「旧約聖書」、大貫隆氏の「グノーシス」、また評者の関心から言えば「ニューマン」「オックスフォード運動」「霊操」「慰め/すさみ」などを参照してみてもらいたい。
それから本書の特徴の一つとして日本のキリスト教に関しての記述が充実していることも指摘したい。本書の執筆されている内容はそれぞれの項目の主に西洋における研究の現在を提示するものではありつつも、それが日本の読者に向けて簡潔に書かれていることが見て取れる。そうした動向に加えてキリシタン研究や近現代の日本キリスト教史に名を残している人々についての項目を多数見出すことができる。研究は常にある視点を通してしかなされ得ず、個々の執筆者の見解が反映された項目も散見されるが、これだけの項目を網羅的にこの小さなスペースに盛り込んだ仕事は未だないのではなかろうか。ぜひ手許に置いておきたい一冊である。
まず、キリスト教神学はヨーロッパで発展したこともあり、その言葉のほとんどはアルファベットで記されている。中世の人物の名前であったり、単純に神学で用いられる言葉であったり、気になった語をすぐに調べることのできる本書の巻末に付された欧文索引が非常に役に立つ。これは大きな辞典を開かずして訳語を確かめる際にも大いに役立つことである。評者も卒論執筆の際の訳語選びに参照し、見当を付けたうえで最終的には個々の研究の中でいかに翻訳されてきたのかを検討していった。その前段階としてその分野で何が論じられ、どのような広がりがあるのかを本書を通して確かめることができるのである。
内容についてであるが、現在刊行されているキリスト教辞典を見渡した際、本書のようなバランスと記述の深さを備えた辞典は見当たらない。先にも指摘したように欧文検索では幅広い事象を扱おうという方針が功を奏してコンパクトながらも網羅的にものを調べられる辞典になっている。海外のものの翻訳は、原書では簡潔な記述でも翻訳された途端に叙述が硬くなり、なおかつ痒いところに手が届かないことが多い。ところが本書はその部分を絶妙にクリアしているのである。深掘りする必要のある読者には金額も場所もとるが定評のある海外の辞典あるいは『新カトリック大事典』を手に入れることが必要になろう。本書の中には簡潔にして要を得た記述を様々な項目に見出すことができる。もし機会があれば佐藤研氏の「Q文書」、関根清三氏の「旧約聖書」、大貫隆氏の「グノーシス」、また評者の関心から言えば「ニューマン」「オックスフォード運動」「霊操」「慰め/すさみ」などを参照してみてもらいたい。
それから本書の特徴の一つとして日本のキリスト教に関しての記述が充実していることも指摘したい。本書の執筆されている内容はそれぞれの項目の主に西洋における研究の現在を提示するものではありつつも、それが日本の読者に向けて簡潔に書かれていることが見て取れる。そうした動向に加えてキリシタン研究や近現代の日本キリスト教史に名を残している人々についての項目を多数見出すことができる。研究は常にある視点を通してしかなされ得ず、個々の執筆者の見解が反映された項目も散見されるが、これだけの項目を網羅的にこの小さなスペースに盛り込んだ仕事は未だないのではなかろうか。ぜひ手許に置いておきたい一冊である。
2017年6月24日に日本でレビュー済み
現代日本のキリスト教辞典としてすばらしいと思う.
低い評価を付けているレビューは内容からみて正教会(の立場)からの批判と思われる.しかし想定している読者は「キリスト教」に一般的なイメージをもつ日本人であって、正教会の考えを表明するための書ではない.自己の立場の護持からだけで書のレビューを組み立てるのは、全否定しないが、書に対する総合的評価に値しない.
正教会もキリスト教である、正教会の立場を無視するな、との主張(というより気持ち)はわからなくもないが、それは正教会の宣教とその結果の問題であって、この書の評価を下げるものでないことくらいは良識ある読者なら分かるであろう.Orthodox Church は日本ではキリストを「ハリストス」と称し、したがって自身を「ハリストス教」と呼ぶのかと思いきや「キリスト教」、キリスト者を「ハリスティアニン」場合によって「クリスチャン」と、キリスト教として最も重要な語さえ不統一さがみられ、他方でキリスト教の他教派との連携の努力もみられない.批判的レビューは、一般の日本人に「キリスト教」ではなく「ハリストス教」という認識が広まったら別だが、本書の性質性格からして、あたらないと個人的に思う.
(本題に戻るが)レビューに批判されたいくつかの記述についても、「一般の日本人読者を対象とした」記述、現代の諸問題(「核」の問題もしかり)に対するキリスト教の考え方がわかるような記述になっている点も、一般の読者の視点に配慮してよく監修されていると高く評価してよいと思う.執筆者のみならず監修者(カトリック・プロテスタント双方)の努力に敬服する。
低い評価を付けているレビューは内容からみて正教会(の立場)からの批判と思われる.しかし想定している読者は「キリスト教」に一般的なイメージをもつ日本人であって、正教会の考えを表明するための書ではない.自己の立場の護持からだけで書のレビューを組み立てるのは、全否定しないが、書に対する総合的評価に値しない.
正教会もキリスト教である、正教会の立場を無視するな、との主張(というより気持ち)はわからなくもないが、それは正教会の宣教とその結果の問題であって、この書の評価を下げるものでないことくらいは良識ある読者なら分かるであろう.Orthodox Church は日本ではキリストを「ハリストス」と称し、したがって自身を「ハリストス教」と呼ぶのかと思いきや「キリスト教」、キリスト者を「ハリスティアニン」場合によって「クリスチャン」と、キリスト教として最も重要な語さえ不統一さがみられ、他方でキリスト教の他教派との連携の努力もみられない.批判的レビューは、一般の日本人に「キリスト教」ではなく「ハリストス教」という認識が広まったら別だが、本書の性質性格からして、あたらないと個人的に思う.
(本題に戻るが)レビューに批判されたいくつかの記述についても、「一般の日本人読者を対象とした」記述、現代の諸問題(「核」の問題もしかり)に対するキリスト教の考え方がわかるような記述になっている点も、一般の読者の視点に配慮してよく監修されていると高く評価してよいと思う.執筆者のみならず監修者(カトリック・プロテスタント双方)の努力に敬服する。
2018年3月6日に日本でレビュー済み
この辞典は、内容・質共に良質なキリスト教辞典である。
辞典となると値段も高く、とても分厚いと言った印象を受けるが、
こちらの本は持ち歩くことも可能なサイズで構成されている。
また、内容も日本の神学者たちが多く結集して書かれているので、偏りはさほどないように思える。
キリスト教関係の辞典を持っていない人には是非おすすめの本である。
辞典となると値段も高く、とても分厚いと言った印象を受けるが、
こちらの本は持ち歩くことも可能なサイズで構成されている。
また、内容も日本の神学者たちが多く結集して書かれているので、偏りはさほどないように思える。
キリスト教関係の辞典を持っていない人には是非おすすめの本である。
2010年4月5日に日本でレビュー済み
様々な分野に手を出しては居るが、必要性の高い事典向きの基本的記事は執筆されていないか記述量が少なく、マニアックな事件・芸術作品・人物についての記事量は多いというように、バランスの悪さが目立つ。
執筆陣個々人には尊敬する執筆者も含まれているためここまで書くのは心苦しいが、私の知る限りにおいては、執筆陣にそれなりの人材を迎えているこのクラスの事典としては、最低の出来である。
個々の記事について言えば、特に「フィリオクェ」の項目で、大森正樹はこの問題を「東西教会の重要な相違とはいえない」とまで断言してしまっている。そのような見解はあるにはあるが、教父神学の大家ウラディーミル・ロースキイがこの問題に多くを割いた事を鑑みれば、あまりに一方的な評価の記述と謂わざるを得ない。
ニル・ソールスキーについては、彼は正教において列聖されて著名な聖人となっているにも関わらず、この項目の執筆者である安村仁志はその事実には一切触れずに、単純に非所有派の指導者であったという関連から「彼の立場は退けられた」としてしまっているが、これは誤謬の域に達している。
事典には似つかわしくない「評価」の記述が本書の様々なところにある他、数々指摘出来る誤謬から、他の記事についての質についても疑わざるを得ない。
「かもしれない」といった、本当に事典なのか疑わせるような推測までが書かれる項目もある。例としての項目は、「その日の苦労は、その日だけで十分である」。
キリスト教全体でもコンセンサスが得られているとは謂いがたい問題について、独自研究論文のような体裁が目立つ記事もある。例としては「祖先崇拝」「宗教戦争」。
記述が根本的に不足しているケースもある。「カノン」は音楽的な面からのみに記述され、教会法、および祈祷文における用例については、驚くべき事に記述がゼロである。これでは音楽事典に記載した方が良いのではないだろうか。
そもそも「キリスト教辞典」に「核兵器」なる項目が必要なのか?「キリスト教辞典」に必要性すら疑わしい記事に結構な分量が割かれてもいる。
執筆陣個々人には尊敬する執筆者も含まれているためここまで書くのは心苦しいが、私の知る限りにおいては、執筆陣にそれなりの人材を迎えているこのクラスの事典としては、最低の出来である。
個々の記事について言えば、特に「フィリオクェ」の項目で、大森正樹はこの問題を「東西教会の重要な相違とはいえない」とまで断言してしまっている。そのような見解はあるにはあるが、教父神学の大家ウラディーミル・ロースキイがこの問題に多くを割いた事を鑑みれば、あまりに一方的な評価の記述と謂わざるを得ない。
ニル・ソールスキーについては、彼は正教において列聖されて著名な聖人となっているにも関わらず、この項目の執筆者である安村仁志はその事実には一切触れずに、単純に非所有派の指導者であったという関連から「彼の立場は退けられた」としてしまっているが、これは誤謬の域に達している。
事典には似つかわしくない「評価」の記述が本書の様々なところにある他、数々指摘出来る誤謬から、他の記事についての質についても疑わざるを得ない。
「かもしれない」といった、本当に事典なのか疑わせるような推測までが書かれる項目もある。例としての項目は、「その日の苦労は、その日だけで十分である」。
キリスト教全体でもコンセンサスが得られているとは謂いがたい問題について、独自研究論文のような体裁が目立つ記事もある。例としては「祖先崇拝」「宗教戦争」。
記述が根本的に不足しているケースもある。「カノン」は音楽的な面からのみに記述され、教会法、および祈祷文における用例については、驚くべき事に記述がゼロである。これでは音楽事典に記載した方が良いのではないだろうか。
そもそも「キリスト教辞典」に「核兵器」なる項目が必要なのか?「キリスト教辞典」に必要性すら疑わしい記事に結構な分量が割かれてもいる。